不安と僕のオリジナリティ
調子が悪いな、不安だな、という感じが続く時がある。
原因はあれかな?これかな?といくつか思い浮かぶが、何かもっと心の奥で、重さを増している物がある気がする。
そんな時は、オリジナリティを忘れている、ということに気付いて我に返る。
オリジナリティといっても、デザインの仕事や音楽に関してだけそう感じるわけではなく、自分の人生全体のオリジナリティを忘れている、ということだ。
簡単に言ってしまえば、「自分らしさ」と言えるかもしれない。
でも、この「自分らしさ」は自分の弱さや罪深さから目を背けるための言い訳や、成長することから逃げる口実としての言葉ではない。
神と自分との個人的な関係においての、「自分らしさ」だ。
僕はクリスチャンだ。毎日聖書を開く。聖書は、神が聖書の登場人物一人一人に、個人的に、憐れみ深く関わったという記事に事欠かない。
その軌跡が、神が今日を生きる僕たちに同じように関わろうとしているという事を示している。
パレスチナの世界を歩んだ様々な時代の人々の、個人的な神との関係が時代をこえ世界を包んでいる。
神が僕に個人的に関わろうとしているという事を、見過ごせないし、見過ごしたくない。
そこには神と僕とのオリジナルな道があり、「らしさ」があると思うのだ。
それを忘れると、僕はとたんに誰かや、何かに寄りかかりたくなる。
積極性も、生活や作品のオリジナリティもなくなり、人まねで何とかしようとする小ずるい自分が出てくるのだ。
何かをつくりだす喜びも、アイディアの広がりも、毎日の瑞々しさも、臆病で小さくまとまった物になってしまう。
だから、この種の不安や、危機感は僕の人生にとって、僕のオリジナリティを取り戻す為の重要な道標だ。
そして、僕のオリジナリティは、神と僕とのオリジナリティだ。
この感覚は、僕を支えている大きな柱の一つだ。